菰野・三重の食材について
ここでは当店のスイーツにも使用している菰野・三重の特産物のご紹介をします。
菰野町産大豆「ふくゆたか」
<特徴>
①鈴鹿山脈からの「鈴鹿おろし」による寒暖の変化、清流水、豊かな土壌という環境条件に恵まれた菰野町で栽培されている。「鈴鹿おろし」のお蔭で虫(ハスモヨトウ)が葉につき難く十分な光合成が可能になり生育が良いとされています。
②フクユタカ大豆は平成元年から三重県の奨励品種となっており、化学肥料を使わず県試験研究機関と肥料メーカーで共同開発した有機質肥料「鶏糞ペレット」を使用しています。
③農薬を一切使わない耕種的防除技術を実践し、田光転作営農組合が平成20年度に東海農政局長賞、平成21年度に大豆生産で三重県知事賞を受賞しました。さらに諸岡稲造さんが平成23年に生産局長賞を受賞しています。
④遡って昭和62年に佐藤昌仁さんが農林水産大臣賞を受賞しています。
菰野の真菰(まこも)
<まこもについて>
マコモは水辺の湿地に群落をつくり植生する大形の多年生の沼沢植物です。イネ科に属し、ヨシも同じ仲間です。根は泥の中に太く短い根茎と、それから横に枝根が伸び、そこから葉と茎をたくさんだします。葉の巾は二、三センチもあって長くその縁はざらつき、下の方は丸い鞘(さや)となっています。茎は丸く太くて中はがらんどうになっています。
春の三月下旬から四月初旬のころ芽を出し、茎や葉は一メートルほどになります。盛夏の8月中旬ころから穂が出て、穂は細かく枝分かれして小さく、上の方の穂が雌花で淡い黄みどり色をしていて、下の方の穂が雄花です。穂は落ち易く風に乗り四方へ飛散します。葉は刈ってむしろに織り、菰角という芽は食用になります。また黒穂菌がついてできた芽は絵の具や眉墨に利用されました。
<まこもと菰野町の関係>
このマコモは菰野あたりでも沼地の水辺、川の岸辺に見られましたが、いつしか姿が消えてしまっていました。ところが近頃、その生えているところを教えて頂く学校の先生があって、その場所は四日市市の保母小学校の北、朝明川の城下橋を渡った北側の橋のたもと、永井川原から流れてくる彦左川の川しも、本流の朝明川に合流する地域です。この川は幅二メートル余りの溝川ですがマコモが一面に群生しています。
さてマコモは、わが菰野の町名にゆかりのある植物といわれています。古代の菰野は郷里制下では「伊勢国三重郡葦田郷」の中の薦野(こもの)で、伊勢神宮の神領地でありました。
郷名の葦田も薦野も類似の地名であって、おお昔の薦野は三滝川と、その支流の金渓川の間にはさまれた細長い帯のような地形で、その中心は役場のあるあたりで南北六百メートルばかりです。恐らく原初の菰野は三滝川、金渓川の氾濫原で、両方の川の洪水で川原になり、そこはマコモがいっぱい生い茂る野原であったようです。
このマコモの原野を先祖が鍬入れして東菰野あたりから開墾して、だんだんと中菰野、西菰野へと田圃を広げ、村つくりをはじめて行ったものと思われます。いまの役場のあるあたりを中心とすると、それよりやや南よりは耕土も深く真土の土質で、役場から北よりの土地は、三滝川系の砂利、白砂の堆積層で、水はけはよいが耕土が浅く畑地が多いところです。
地名の由来は、その土地の原初の姿、すなわちうぶのまま、鍬入れ前の土地柄が地名になっていることが多いようです。わが菰野の場合もマコモが青々と生い茂る野であったのでしょう。
菰野駅前に「谷かいと」とよぶ集落がありますが、ここは見性寺の南の「谷岡」に住み、天水田を耕作して自給自足の生活をしていたようですが、次第に水田の開発が進み、田圃の近くの平地に降りて来て垣内つくりをはじめました。平坦な、菰野の一等地へ移ってきても集落の名は「谷垣内」、昔住んでいた谷の名でよばれてきました。
このマコモは菰野の名のおこり、そのゆかりとなった、菰野にとって大切な植物であります。
<まこもの成分>
食物繊維が豊富で、ビタミンB1・B2、カリウム・鉄などのミネラル、クロロフィルを含有する。これらの成分が消化を促進し、腸内の善玉菌を増やして慢性疾患を予防、血圧や血糖値の低下、免疫力の強化などに有効といわれています。
詳しくは菰野町商工会<マコモサイト>
<使用状況>
●「大豆 ふくゆたか」→カモレーヌ
●「真菰(まこも)」→真菰の幸せドーナツ、真菰パウンド、業務用シートケーキ(真菰)、真菰餡を使ったプチケーキ
その他の地元食材も募集しております。